「 書の芸術性 」書は芸術? 学問? 教養? 習い事? こういった議論が長い間繰り返されてきました。 実は書道が日本の中で芸術と認められたのは、つい最近なのです。 その例として、日展という大きな展覧会において 書の部門ができたのは、後なんです。 (正確な年代がわかる方は教えて下さい) 大きな総合展覧会に書が入るまでの 道のりは大変だったらしいです。 大正〜昭和初期の偉大な書家の先生方が 身を削って戦ったという話がたくさん残っています。 ということで書は近代になって 初めて芸術として認められたのでした。 ・・・ん?待てよ。 日本にはあの美しい流麗な「かな」 があるではないか! あれは芸術ではないのか。 ましてや、現代人はそもそも書をどう思ってるんだろうか。 そして中国ではどうなのだろうか。 といった疑問を考察していくと 「芸術とは何ぞや」 になってくる。 この話をしたいのですが(非常に)、 キリがないので、とりあえず芸術という定義は 皆さんが想像するであろう平均的な芸術のイメージとして 話を進めていきます(^。^) 以前にも書きましたが、書体は大きくわけて 古代文字、篆書、隷書、草書、行書、楷書、かな とあるわけですが、 芸術性が出てきたのはいつの時代からなのでしょうか。 文字には人間の意識が入ってるからすべてが芸術だ! と叫びたくなる気持ちもわかるのですが、 「意識伝達手段としての文字」よりも 「美しさを意識した文字」の比重が高いものを芸術だと 考えると、やはり世の中にその芸術の意識を始めて 植え付けたのが、このメルマガにも何度も出てきた王羲之と言われています。 もちろん王羲之の前にもそういう議論があったと思います。 「こっちの方が美しい」「あっちの方が均整がとれている」 などの会話があったのでしょう。 王羲之のカリスマ性にてそれが中国全土に広がったわけですね。 今となっては世界に広がっています。 「かな」においても現代人からすれば「芸術」と言われています。 当時の人々はそんなことも意識せず、 いかに美しく書くのか、どうやったら異性を口説ける字が書けるのか というとても現実的で具体的な意識で書いていたのでしょう。 そもそも芸術って何でしょう。 あぁ・・・ またこの禅問答に入りたくなる。 でも今日はがまんしよう。。。。でも。。。 こ、こほん さて、現代人は書についてどう思ってるのでしょうね。 多くの人は「習字」と呼びます。 つまり、習うもの。算数や国語と並列もしくは 学校のオプションみたいなものだという意識が高いような気がします。 もしくは、お茶やお華の世界と同じく御家元制度。 敷居が高そうで、偉い先生方がたくさんいるというイメージでしょうか。 さて、冒頭の質問に戻りますね。 「書は芸術? 学問? 教養? 習い事?」 すべてが正解です。 歴史が長ければ色んな側面を持ちます。 逆に言うと、シンプルで奥が深いので 色んな接し方が存在したおかげで 今まで生き残ってきた面もあります。 ですから私のように書を生業としてる者にとっては 「書とは何ぞやという問い」がとても重要です。 書道家によって定義が異なるのは当たり前です。 この問いはまさに哲学です。 永遠の問いですが、そこに書の真実がある気がしてならないのです。 私にとっての書は、 ・自分が今伝えたいことを書く道具 ・自分という存在を世の中に訴える手段 ・独自性、つまり新しい領域を追求するアドベンチャー (独自性を生むための古典研究でもある) です。 ※メルマガ「簡単おもしろ書の歴史」より抜粋。 メルマガのお申込はこちら
タイトル:【 「書」を書く愉しみ 】 光文社新書より トップに戻る |