ザ・楷書


楷書はそもそもいつごろ生まれたのでしょうか。

隷書が変化して楷書に移り変わってきたのですが、
漢時代までは隷書で書かれています。

魏晋時代の呉の「谷朗碑」(こくろうひ)や「郛休碑」(ふきゅうひ)
(だいたいAD270)を見ると隷書が楷書へ近づいているのがわかります。
谷朗碑では隷書の特徴の「波{(はたく)」がなく、
郛休碑では、横画の起筆が露鋒(筆の穂先が見える書き方・つまり楷書の手法)
になっています。(隷書の起筆は蔵鋒、つまり逆入りで書く)

すなわち、AD270くらいから楷書の芽が出てきているということです。
そして、楷書の完成形と絶賛されているのが、
「初唐の三大家」です。
三大家が活躍した初唐の時代は、長安(現在の西安)を中心に、
大唐文化といわれる華麗な文化が華開いた時代です。
現在でも西安の周辺には当時の史跡や文物がたくさん残されています。

ちなみに三大家は
虞世南・欧陽詢・ちょ遂良の3人の総称です。

彼らの作品を代表として、すばらしい楷書作品が
石碑となって数多く残されました。
この時代をベースにして楷書が受け継がれて、
我らの習字教育まできたわけです。
つまりAD500年以降、楷書以上の書体は生まれていない。
今のところ、書体の完成形ではないかと言われています。

さて、これから先、楷書とは異なった新たな書体は生まれるのでしょうか。
みなさんも想像をふくらませてみて下さい(^^)  双雲




欧陽詢 九成宮醴泉銘
(おうようじゅん きゅうせいきゅうれんせんのめい)





虞世南 孔子廟堂碑
(ぐせいなん こうしびょうどうのひ)




ちょ遂良 雁塔聖教序
(ちょすいりょう がんとうせいきょうのじょ)



「ザ・楷書2」

AD300〜500くらいにかけて
隷書から楷書へ書体が移り変わっていったのですが、
その中でもわかりやすいのが形と筆法です。

隷書は、現代のお札にも使われています。
横長で横の角度が平坦(楷書は右上がり)、
そして、わかりやすい特徴、波磔(はたく;終筆で右上にはねる)
があるのが特徴です。
現代人が見ても美しい書体ですね。
http://www.fudemojiya.com/reisyo/
隷書は、筆の穂先が見えないように逆入りでの起筆です。
これを「蔵鋒」と呼びます。

それに対し、穂先の形が見えるよう起筆を書く方法を
「露鋒」と呼びます。
僕らがお習字で習うスタンダードな書き方のことですね。

筆のやわらかくて、変な形が最初の入り方で、
こんなにも印象が変わるのかというよい例です。

隷書がなぜ蔵鋒なのか、おそらくですが、
篆書(てんしょ)の名残りをそのまま受け継いだだけという理由が考えられます。
はたまた、
もしかしたら筆そのものが全く違うかもしれないし、
穂先が見えることがその時代の美意識ではかっこ悪く感じられたかもしれません。

楷書と隷書の違いは、
その他に「三節構造」があります。
楷書は「とん・すー・すっ」と3つの構造を持っています。
隷書は終筆はとめない書き方がほとんどです。

ちなみに私が大好きな楷書は

・顔眞卿(がんしんけい)の多寶塔碑
・欧陽通(おうようとう)の道因法師碑
・呉煕戴(ごきさい)の楷書東方朔画賛四屏
・ちょ遂良(ちょすいりょう)の雁塔聖教序

の4つです。

時代の変化、書体の変化、やはり興味深いことですね!



※メルマガ「簡単おもしろ書の歴史」より抜粋。
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タイトル:【 「書」を書く愉しみ 】 光文社新書より