弘法大師




「風信帖」(東寺所蔵)

空海は平安時代(774年〜835年)の人です。
讃岐、つまり今の香川県に生まれました。幼名を真魚(まお)といいました。
すごいいかつい名前ですね (^^ゞ

18歳の時に京都の大学に入学し、儒学を学びました。
・・がしかし2年余りで退学し20歳の若さで出家したと言われています。
途中退学し出家。なんと潔い決断。ちなみに私も25歳で脱サラしました(笑)

31歳の時に藤原葛野麿(かどのまろ)を代表とする遣唐使団のメンバーに入り
留学層として入唐しました。このときの舟には、伝教大使の最澄や橘逸勢もいました。

その時、1つの空海伝説が生まれました。
遣唐使一行はものすごい暴風雨にあって目的地の揚子江と全然違う福建省に漂着してしまいました。
その時言葉も通じなくてあたふたしていたところに空海が一筆書いたとのこと。
検問の役人がその文章、書に感動し通行許可をおろしたという。
・・・これが本当だとしたらすごすぎないですか?

空海は清龍寺の恵果和尚の下で真言密教の奥義を受け、2年後に帰国しました。
その後 福岡県:観世音寺 → 京都:高雄山寺 → 高野山:金剛峰寺
(ここで真言宗の開祖となる) → 京都に東寺を開く。

書法においては、とにかく中国の書を学んだのですが単なる臨書だけでにとどまらず、
自分流の書を追及しました。その書法は後に大師流と呼ばれます。

ちなみに弘法大使師という名前は醍醐天皇がつけました。
有名な作品としては「風信帖」「灌頂記」「三十条策子」があります。

書風は、王羲之や顔真卿に多大な影響を受けている。
きっと彼は中国に渡った時に鳥肌が立つくらい感動したのでしょう。
それを2年で必死で吸収し、その興奮を日本に持ち帰りました。
そのパワーが彼のカリスマ性を増大させました。

空海の書は、パワーがあり器の大きさを感じます。
しかも年齢を重ねるごとにまったく違った書も書く器用さも見えます。
天才肌で努力肌で興奮肌?だったのでしょう。。(よくわからんですね)

日本の書家も空海に影響を受けた人は多いことでしょう。




※メルマガ「簡単おもしろ書の歴史」より抜粋。
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タイトル:【 「書」を書く愉しみ 】 光文社新書より