伊都内親王願文
橘逸勢は、日本三筆に数えられながらもあまり歴史にその足跡が残っていません。
生まれもよくわかっていません。一番最初に出てくるのが空海らとともに入唐したときです。

空海は華々しい活躍が伝えられてきましたが、橘逸勢はほとんど業績を残しておりません。
それでも日本三筆に名前が入っているという理由は、やはり作品が素晴らしかったのです。

しかし、その作品も本当に橘逸勢が書いた物かどうかはいまだに証明されていません。


最後は反乱を企てた犯人という容疑がかかり伊豆に流罪となり、その途中で病気で亡くなってしまいました。悲しい人生だったようです。。。



※メルマガ「簡単おもしろ書の歴史」より抜粋。
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タイトル:【 「書」を書く愉しみ 】 光文社新書より